データエンハンサーの戯言置き場

データサイエンティストを挫折した人がデータとアナリシスのエンハンスメントについて考える

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自己紹介

某インターネット企業にてデータアナリストを経てデータサイエンティストになれず、データエンハンサー(自称)、アナリシスエンハンサー(自称)をやっております。 ブログの内容は個人の意見・見解であり、所属組織の意見・見解とは異なる事があります。




データエンハンサーとは

自称です。

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客観的に物事を捉えるということ。

はてさて。大学時代の友人にTwitter上でお説教をしていたのですけれども。その上でどうしてもわかってもらえない部分をちょっとまとめて見ましょうという勝手な企画。

 

<てーま。>

 その友人は、「いつも主観的に物事を考えてしまうので客観的になりたい」との事。他に駄目なとこ一杯あるんだけど、とりあえずこの1点に絞ってここに書きましょう。客観性とはそもそも何なのか。

 

<辞書的意味>
しゅかん‐てき【主観的】:
   表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま。
きゃっかん‐てき【客観的】 :
   主観または主体を離れて独立に存在するさま。

 どちらも広辞苑から。つまり、客観というのは個々の人間や心理に依存しない、ということ。

 

<言葉遣い>
 じゃあ具体的に見てみようと思うのです。特に「言葉の選び方」という視点から。

 僕(ら)が昨日今日とお説教をしていた彼の話を聞いていると、「俺はこう思う、だからこう思う、ってことはこうだよな?」という言い方をするのですよね。一見ロジカルに見えるけどこれって全然だめで、そもそも「◯◯だと思う」「◯◯だと考える」という時点で主観なんですよね。だって「主語が自分じゃん、それ」っていう。

 逆に客観性のある発言って、「◯◯だと言われている」「◯◯という事例がある」「◯◯というデータがある」という言い方になるんですよ。科学的な研究を真面目に行なってきた理系の人間は自然にこういう話し方になる。なぜならデータが無いと研究にならないから。「◯◯だと考えられる」だと微妙なところ。ギリギリかな。ちなみに「☓☓さんは◯◯と言っている」は☓☓さんの主観であり、やっぱり客観じゃない。

 

<主観じゃだめなの?>
 あまり主観的に物事を考えすぎるとどうなるか。自分の正しさの裏付けを取らないんですよね。「俺はこう思う、だからこうだ。」って言い切っちゃうと、そこから先に進まない。(得てして主観的な人間は自分が主観的であることに気づかないから厄介ではある。)PDCAで言うAの部分が行われない。だってCheckしても自分で正しいと思ってるから「よし、俺は正しい」で終わっちゃう。客観的な事実と照らし合わせるということをしない。Actionにつながらない。結果、成長しない。「いや別に俺成長しなくていいし、今の時点で十分だし」って言うならどうぞご自由に、僕はそんな奴と友達になりたくありません、と。

 

<じゃあどうすればいいの>
 客観性って上で書いたように、裏付けがあるはずなんですよね。それは大抵、明文化されていたり、定量化されていたりする。それは成功例であったり失敗例であったりする。それは事実である。基本的にはまず事例をたくさん集める=知識を蓄える事が最優先。ない知識の上で改善(Action)は行われない。その中で使える情報使えない情報たくさん出てくる。だから自分に合うものを選別する。当然だけど自分の中から客観性は生まれない。外部から取り込まなければならない。けれど、上で書いた「☓☓さんは◯◯と言っている」というのが☓☓さんの主観でないかどうかは要注意。

 ただし、主観を大量に集めればそれは客観的なデータになりうる。AさんもBさんもCさんも皆、駅前のケーキ屋は美味しい、と言っている。その個々は主観だ。しかし、例えば100人に調査した所90人は美味しいと言っていた、となればそれは客観だ。なぜなら「個々の人間」ではなく「全体(この場合は母数100)」に依存した結果だから。

 それを踏まえて、「話し方」を変えれば良い。上に書いてある言葉遣いだけで割と簡単に主観と客観の見分けはつく。と思う(主観)。少なくとも僕にはそう思える(サンプル数1)。自分のSNSの書き込みを見てみるといい。自分の喋ってる事を録音して聞き直してみるといい。そして「◯◯だと思う」の数を数えてみるといい。その数字自体は「客観的なデータ」だ。その数が多ければ多いほど、主観的な人間だといえるのではなかろうか。

 

 まーでもそもそもこの記事だって大半は主観だからあんまり当てにするなよな。具体的なソースは広辞苑だけだからな。

 

<かといって。>
 「客観が全て正しい」なんて言うつもりは毛頭無いのでそこは勘違いしないでほしい。ジョブズの超主観があれだけの製品群を生み出した源泉である事は(多分)確かだ(確認のしようがない)。また、客観に依存し過ぎると今度はフットワークが重くなる。データがでないと行動できなくなる。答えが出ない議論を延々繰り返す事になる。結果、チャンスを逃す。日本企業(特にメーカー)にありがちなんじゃないかなーと感じる。時には主観で思い切った行動をすることも必要だ。要は、バランス。

 

 ただし、主観が当たる確率もやっぱり知識量・経験量に比例すると個人的には思いますがね(主観)。

 

<あとがき。>

 なんつーか、見なおしてみて思ったけど、出来る人は出来る、簡単なお話なんだよね。書く価値あんのか、こんな事。っていう。つまんねー記事だ。

 他にも彼に対するお説教の中から、「手段と目的の混同」のお話とか、「具体性と抽象性」のお話とか、「仮説と検証」とか、色々書きたいことは出てきたので熱が冷めなければ近々書きます。いや、手段と目的の混同なんて今更書きたくもないかも。リクエストあれば言ってくれれば書く可能性が3%くらい上がります。

 

 何かビジネスの話書こうと思ってブログ作ったのに自己啓発になってるよねーだめだよねー