データエンハンサーの戯言置き場

データサイエンティストを挫折した人がデータとアナリシスのエンハンスメントについて考える

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自己紹介

某インターネット企業にてデータアナリストを経てデータサイエンティストになれず、データエンハンサー(自称)、アナリシスエンハンサー(自称)をやっております。 ブログの内容は個人の意見・見解であり、所属組織の意見・見解とは異なる事があります。




データエンハンサーとは

自称です。

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【読書記録】魔法の世紀

読んだよ。

魔法の世紀

魔法の世紀

 

 さて。中々に発見の多い本である。まずアート、というか、表現の進化について。

(全体的に別に本に書いてあることじゃなくて好き勝手思ったこと書いてますのでご理解をば)

 

メディアアートとは何か

まず、この本を読んで思ったこと。

「なるほど、メディアアートね」と。

理解が正しいかどうかあんまり自信ないんだけど、要は、あらゆる"コンテンツ"というのはメディアの上に乗っかっているわけです。

例えば絵画というコンテンツはカンバスというメディアに、映画というコンテンツであればフィルムというメディアに。

で、コンテンツというのはメディアの限界は超えられないので、例えばカンバスの上に動画は表現できないわけです。

コンテンツの限界を超える為には、メディアそのものを変えるしかない、というのがメディアアートの発想。だと思っている。

 

結構これ自体は着想として納得というか、今後コンテンツ業界では重要になるだろうと思っていて、

例えば、音楽なんてどれだけ上手に作ってもYoutubeの上で表現されている限りは限界があるわけで。

それがライブになると音楽という二次元の表現から空間という三次元表現へと昇華させる事ができて表現の幅が広がったりする。

 

ということで、既存のメディアから如何に脱却するか、という点がとても考え方として面白いなぁと。

 

既存メディアからの脱却

例えばね、音楽って最早、誰にでも簡単に作れるものになっているんですよね。

20年前にプロしか使えなかったようなレベルの音楽作成ツールが、今や1万円で手に入る。

CGとかもきっと似たような感じで、どんどんハードルが下がっている。

MMDブームとかあったしね。

写真だって素人でも一昔前のプロと同じくらいのものがiPhoneで撮れる。

ちょっと面白い動画作るくらいなら素人にもできてしまう。

なので、本当の意味で"新しい"ものを作ろうと思うと、如何に既存メディアから脱却できるのか、って鍵になるのだろう、

アートの世界でも、エンターテインメントの世界でも。

平たく言ってしまえば、「Youtube上で作れる作品は既に殆どやりつくされた」のだ。

今から何をやろうと、二番煎じになる。

なので、そこからの脱却がカギになるのかなぁと。

 

どうすれば脱却できるか

たとえばだけど、脱却した事例でぱっと思い浮かぶのは、映画の4DXとか。既存映画では表現できないところまで表現している。

Vocaloidなんかもそうかもしれない。

既存の音だけでは表現できないものを表現している。

絵画で言うなら、「新種の絵の具で表現した」みたいなものかも。

プロジェクションマッピングなんかも、既存の2次元のスクリーンからの脱却だよね。

VRなんかも同じ。

で、わかるのは、脱却するにはテクノロジーが不可欠、ということ。

 

魔法とは何か。

この本で言う、魔法とは何か。

例えば、過去から現代にタイムスリップしてきた人が、現代のテクノロジーを見て「これは魔法か」と驚くシーン、色んな漫画とかであるけど。

こち亀のため吉回とか)

過去の人からみたら原理がわからなくて魔法のように見えるテクノロジー、というのは結構沢山あるんだと思う。

そしてその「魔法のような」テクノロジーの領域がどんどん増えていく時代が、「魔法の世紀」である、と。

 

で、本自体の感想。

上記のような「表現」の歴史的な背景や思想が語られ、最後はその「メディア・アート作品」として落合さんの作品が紹介される、そういう本。

あくまで主題は「アート」(というか表現)であり、表現の手段としてテクノロジーが解説される作りで、それ自体が視点として結構新鮮でした。

普通、テクノロジーが創り出す未来、みたいな本読むとあまりメディアとかコンテンツの話にはならないで、どうしても利便性や経済性の話になってしまうので。

当然目的を置き換えれば同じテクノロジーでも別の事に使えるもので、人によって読後に生まれる発見も色々あるんだろうな、という気がしました。

 

いじょう。