データエンハンサーの戯言置き場

データサイエンティストを挫折した人がデータとアナリシスのエンハンスメントについて考える

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自己紹介

某インターネット企業にてデータアナリストを経てデータサイエンティストになれず、データエンハンサー(自称)、アナリシスエンハンサー(自称)をやっております。 ブログの内容は個人の意見・見解であり、所属組織の意見・見解とは異なる事があります。




データエンハンサーとは

自称です。

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意識高い系の人カタカナ語多すぎ問題

定期的に巡ってくるこの手の話題。特に貼り付けたりはしないんだけど、定期的に話題になりますよね、なんでもカタカナにしやがって、的なツイートとか。それに対する個人的な見解。

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ビジネスの場でよく使われるカタカナ語

liginc.co.jp

こんなまとめができるくらいには頻出するこの話題。基本的にTwitterなんかだと、

  • わかりにくい
  • かっこつけすぎ
  • 日本語でいいじゃん

とかって、どちらかというと否定的な意味合いで用いられることが多いと思います。

けど、個人的には言葉の使われ方にはある程度の必然性があると思っていて、まあカッコつけたい気持ちもなくは無いんだろうけど、だからといって全部否定するのはちょっと違うよな、と思っていたりする。

 

そもそもニュアンスが違う

先日見たツイートから例を出すと

  • ナレッジ ⇔ 知識
  • コンバージョン ⇔ 成果

あたり。

結構この辺の言葉は日本語でうまいことニュアンスが出せなかったりするんですよね。

「知識」という言葉はどちらかというと、個人の頭の中に蓄積されていくものであるのだけれど、「ナレッジ/Knowkedge」という言葉は一昔前に「ナレッジベース」なんて言葉が流行ったけど、どちらかというと組織や集団に蓄積されたものも含めて「ナレッジ」と呼ぶことができる。

ノウハウは「知識」というよりも「ナレッジ」の方がしっくりくるかなあ、とか。

 

コンバージョンも、成果というよりはあくまで転換点、何かが変化した瞬間を本来意味するので必ずしも「成果」を意味するわけではないんですよね。成果になるまでの途中段階にも使える概念。通販業界なんかだとコンバージョン=成果=売上が上がること、でほぼイコールなんだけど、かならずしもそういう使われ方がしないことも多い。

そういう意味で、いろいろな業界で共通の用語として「コンバージョン」がしっくりきてそのまま使われている。

 

こういうニュアンスの違いの最たるものが

  • マネジメント ⇔ 管理

だと思っているのだけれど。

 

「管理」という言葉は物事が変化しないようにする、という意味合いが強くて、例えば「物品を管理する」といえばなくならないようにする、程度の意味しかないし、「従業員を管理する」といえばサボらないように監視する、という程度の意味にしかならない。

一方で「従業員をマネジメントする」というと、ただ監視するのではなく、従業員の能力を最大限に発揮させて最大の成果を目指していく、くらいの意味になってくる。

 

管理とマネジメントの違い|アチーブメントHRソリューションズ

こんなのも見つけた。

 

辞書的にただ翻訳しただけだと、このあたりのニュアンスが伝わらないので、ただ翻訳するのではなく、そもそもマネジメントは旧来の管理とは違う概念なんだ、という意味であまり翻訳されていなかったりするのですよね。

 

逆パターンも忘れてはいけない

  • KAIZEN ⇔ improvement

とかね。KAIZEN(改善)という言葉は結構英語でも浸透していて、これはトヨタ生産方式が一世を風靡していた頃の名残だけれど。トヨタ方式に代表されるように、英語のKAIZENという言葉にはただ良くするだけではなく、良く"し続ける"、"繰り返し"良くする、という意味が含まれている。

これは英語にトヨタの改善活動のような概念が存在しなかったから、KAIZENという単語を輸入して使ったほうが新しい概念である、ということが理解されやすかった。

 

(一方日本語の改善には"し続ける"という意味がないので「PDCAを回す」という言葉が使われる)

 

言葉の意味は変化する

言葉の意味、ニュアンスというのは時代とともに変化するものであって、それは日本語でも英語でも同じ。日本語⇔外国語の対訳が大量に作られたのは明治初期の大翻訳時代あたりだと理解しているのだけれど。この頃から100年以上も経っている対訳というのもたくさんあって、当然その100年の中で変化してきた言葉のニュアンスも存在する。

 

で、その変化というのは当然、日本語の変化と外国語の変化が同時に同様に起こる、なんてことはなくて、大抵はどちらかだけで変化する。あるいは双方で変化するけど全然違う変化になる。

なので、翻訳当時はニュアンスとしても間違っていなかったけど、現代では変わってきている、というようなことはそう珍しくないだろうと思う。

 

なぜビジネスの場でばかりこの現象が蔓延するのか

答えは1つで、諸外国、特にアメリカのほうがビジネスに対する考え方が進んでいるから、だと思います。

当然、日本で生まれた概念というのは日本語になっているはずなんですよ。日本では上の「KAIZEN」もそうだけど、「GENBA(現場)」という言葉も、現場を重視する日本ならではの概念として輸出されていたりする。

けど、それ以上に輸入する量が特にここ20年は圧倒的に多いので結果としてカタカナ語が蔓延していく現象が起こるのではないかな、と。

 

カタカナ語との向き合い方

ということで。そもそも対訳すればいいじゃん、とか日本人なんだから日本語使え!とかいいう単純な話じゃなかったりするんですよ。

テレビもラジオもパソコンもスマホも日本語にならないのは、もともと日本に無いものだからですね。

 

だからこそ、わかりにくいと思ったらその言葉がどうして対訳されないのか、というのはちゃんと確認してみると良いよね。

「『コンバージョン』って『成果』のことですか?」

って。

 

大抵の場合この手の言葉を輸入する人というのは、当然英語で仕事をしていて、自然と英語と日本語のしっくり来る言葉を選択するようになっていくはずであって。その誰かがなんとなく選んだ言葉が、日本語よりなんとなくしっくり来るから、あるいは短く意味が伝わるからこそ使う人が増えていくわけです。

単なるかっこつけよりは、ある程度機能性を持って変化していることの方が多いと思うんですよね。

 

試しに、わかりやすいところで

  • 会議
  • ミーティング

のそれぞれで画像検索とかしてみると良いですよ。全然ニュアンス違うから。

 

本当に無能な人間がかっこつけて使ってる場合も多々あるけどね。そうじゃないことも結構あるよ。と。

ということで、あんまりカタカナ語うざいとか言わないで、言葉の意味をちゃんと理解しようとしてみるのも良いと思いますよ。