なぜゼネラリストが無能になるのか?
さて、久々に読書と関係無い記事でも書こうと思います。
三行でまとめる
チームワークとはなにか
現代のホワイトカラー的な仕事は殆どがチームでの仕事を前提にしてます。なぜチームで働くのか、というといろいろな考え方がありますが結局
- 個々人がバラバラに働くより良い成果が出るから
ということに尽きるはずです。
では、より効率のよいチームワークとはなにか。より成果の上がるチームを作るためにはどうしたら良いのか。
逆の視点で、全く意味の無いチームを考えてみる。意味のないチームというのは、すなわち個々人がバラバラに働いているのと同じ状態である。例えば、作業を分担しているだけ、など。
これに対して、意味のあるチームというのは、アウトプットが単なる分担よりも良い成果が出る状態であると言える。
横軸はアウトプットであって、人月で計算したときのインプットは同じときのイメージね。
知恵は足し算されない
ただ人をあつめれば良いのかというとそういうわけではなく。チームの能力というのは得てして、そのチームで最もスキルの高い人に依存するんですね。幼稚園児10000人でチームを組んでテストを解いても、東大に入学できるだけの点数は取れないけれど、優秀な高校生なら一人で東大入試を解ける。
知恵というのは足し算されないわけです。
ひとつの目的を達成するためには、ひとりスキルの高い人がいれば解決するわけですね。
けど、当然知恵というのは複雑で、人によって得意なことも不得意なこともあるわけです。だからこそ、チームを組んで得意なことを活かしあい、不得意なことを補い合うチームが必要になってくるわけです。
チームの能力
得意なことを活かし合い、不得意なことを補い合う、というのはどういうことかというと、こんな感じ。
チームのスキルはメンバーの最大値に依存するので、営業の得意なAさんと開発の得意なBさんが補い合うとチームとしてはいい感じ。
逆に、補い合ってないとこんな感じ。
なぜゼネラリストが不要なのか
さてここでタイトルに戻ってもう少し複雑なチームを考えていく。たとえばデザイン力という新しい軸を取り入れて、デザイナーを入れるとこんな感じ。
これがたとえば、デザイナーの代わりになんでもできるゼネラリストが入ると、
デザイン力は上がらない。
これくらいだったらまだ良いけれど、スペシャリストがいなくなってぜねらりすとばかりになると、チーム力はどんどん下がる
しかも、最初のチームにゼネラリストが加わると、
となってくるわけです。
チームが大きく、専門家が多くなるほどにゼネラリストの居場所はなくなり、むしろ足を引っ張る側になっていくんですね。
本当に必要なゼネラリスト
とはいえ、ゼネラリストが役に立つタイミングはあって、それは複数のスペシャリストをつなぐ力がある時。
よくありがちなのは、「営業は全然技術のことをわかってない」「技術者は全然ビジネスのことがわかってない」みたいに、言葉が通じなくていがみ合うような光景。
こういうところで、間に立つ"通訳"として営業のこともわかるし技術のこともわかるゼネラリストというのが役に立ってくる。
言い換えると、ただ色んなことをかじっただけでは単なる器用貧乏。専門家の仲立ちができると使えるゼネラリストになっていく。
ゼネラリストというよりは、仲立ちのスペシャリストが求められるわけです。いわゆるマネージャー職とかの人たちに求められるのはこういうスキルですね。
日本企業に多い問題
日本企業の、多くの「総合職」とかの人たちにありがちなのは、全員でジョブローテーションしてゼネラリストを作っていく人事。ジョブローテーションは確かにゼネラリスト/仲立ちのスペシャリストを作るのには適しているんだけど、それだけではチーム全体のスキルが上がらないのは上で書いたとおり。
重要なのは、スペシャリストとその仲立ちの両方をバランスよく育てていくこと。「チームワーク」という言葉は、ただ単に仲良くしましょう、飲み会開きましょう、コミュニケーションしましょう、みたいな話ではなく。
個々人の専門性とその仲立ちのスペシャリストをちゃんと育てないと、どれだけ仲良くしても生まれるチームワークはたかが知れているのです。
まとめ
という久々に真面目な話でした。