怠惰な多忙。
【読書記録】リーダーシップの旅 5
ミサワと見せかけて続き。
P169。
現代を忙しくは生きているが、今やっていることの意味を探すような来し方の内省をせずに、過ぎ去る今日を集中力無く気が散るままにカラ元気で生きるのは、よしたほうがいいということだ。
「怠惰な多忙」というのは帝政ローマ初期の哲学者、セネカが残した言葉だそう。
「毎日を多忙に過ごしているにもかかわらず、本当に必要で意義があり、真の充足感をもたらしてくれる何かについては、まったく達成できていない状態」
のことを、
「アクティブ・ノンアクション」
と定義した。
まさによく見るミサワの事。
組織の中でも信頼の厚い出来る人が、
周囲の要望を受け、結果、「自分の意思」を忘れ、
他人の要望の中で生きている状態は割りとよくありそう。
本の中では、「エネルギーは高いが、集中力が低い」「空回りタイプ」と言い換えている。
生産性が低い、と言い換えてもしっくり来る。
「仕事のできる多忙なビジネスマン」ほど、
大きな絵を描く時間が無く、小さな目の前の課題にばかり目が行き、
本質的な解決策を見出さない。
結果として自らを追い込んでいる。
日本人にはこのタイプが非常に多そう。
下っ端のプレイヤーだったら、
今後生産性を上げていきましょう、で良いのだけれど。
生産性の低さに慣れてしまった組織で、
生産性の低いマネージャーが横行してしまうような場合、
脱却は困難となるだろう。
脱却の方法として、
本書では、「内省」を奨めている。
ある活動の後に、
後付でも良いのでどのような"意味"があったのか、振り返る。
それにより、「意味のない行動」を減らしていこう、という。
忙しく労働することは美徳ではない。
余裕を持った労働で、高い価値を上げるのが美しいのだ。