【読書記録】ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則
はい、読みました。
ビジョナリー・カンパニーの続編。タイトルの通り、企業が飛躍=大きく成長するにはどうしたら良いか、というのを分析した本。
1本目は、ビジョナリーな会社とは何か?というのをひたすらに紐解いていったのに対して、こっちは飛躍した企業は何をしたのか、を紐解いていく。1本目は代表的な企業が、ボーイングだったりモトローラだったりソニーだったり、日本人にも馴染みが深い会社が多いんだけど、こっちはあんまり馴染みが無いので、そういう意味では読みにくかった。
本の中で著者も行ってるんだけど、”2"というナンバリングがされつつも、内容はビジョナリーになる前に飛躍のタイミングがあるのでは、という、"0"に近い内容。厳密に株価が低迷していた状態から、市場平均の3倍以上の伸びを15年間に渡って維持し続けた企業と、それができなかった企業とをあらゆる確度から比較している。"2"で飛躍した企業が、"1"の内容を元にして維持し続けると、それがビジョナリーな会社となっていく。という感じ。
単純に分析として勉強になる、というのは前作と同様。とても信憑性が高い、よく出来た分析である。(1本目と2本目の間に読んだ、某日本の有名人の書いた本の酷さがとてもよくわかった。)考察も結論も、単なるカリスマリーダーがいた、とか、革新があった、とかではなく、「徹底的に自らのことを考えた」という方向に落ちるのがとても興味深い。
日本の経営書はどうしても"カリスマリーダー待望論"になっていくことが多いのだけれど。(そして向こうもきっとカリスマが大々的に報じられるのだけど)カリスマがいなくなった後も維持し続けるケースというのは稀で、なぜカリスマがいなくなった後会社は低迷するのか、という部分もよく分析されている。
あくまで"会社"を偉大な状態で維持し続けるにはどうしたら良いか、というのがビジョナリーカンパニーに一貫したテーマではあるのだけれど、必ずしも"会社"の維持と"個人"の成功は一致しなくて、カリスマ的な経営者が成功したからといって、カリスマ引退後も会社が成功し続けるのか、というとほとんどがそうならない、というのはとても興味深いところ。
こういう本からじゃあ、個人としてこの学びをどう活かそうか、どう行動に反映させようか、というと中々難しいんだけど。あくまで自分の所属している会社の話でいうと、この会社がどういう方向に向かっているのかがとても良く見えてくるので面白いなぁと思う。同時に、この定義からはちょっと外れてるんじゃない?っていうところも。この辺は3,4と読むとまた変わってくるのかもしれない。
何れにせよ、経営書としてはとても良質ですよね。まさに教科書って感じ。
汎用AIとチャットボットと音声認識の未来
先日ふと考えたことを書き留めるだけの駄文です。
人工知能隆盛で、こないだのCESなんかでもAmazonのAlexa(Amazon echo)が結構盛り上がっていたらしいです。聞いた話。
で、その流れでAmazon echoはどこに向かうんだろうね、という話をしていたんですよね。でいくつかキーワードが出てきたんだけど。そのうちの一つが音声認識。音声認識ってどのくらいニーズあるのかな?っていう話をしていたのです。
個人的には、最近GoogleがCMやってるような音声検索とか、siriみたいな音声認識ロボットってそれ自体は凄く利益を生み出すというわけでも、凄く人間の生活を変えるわけでもないよなぁ今のところ、というのが実感です。そりゃ多少は有効に活用している人もいるのだろうけど、siriとか、りんなもそうだけど、結局コミュニケーション用のちょっと頭のいい玩具でしかないのが現状ですよね。
これが、どこまで進化すると人間の生活に変化を及ぼすレベルになるのか、を考えてたんですよ。
今のsiriとかalexaとかGoogle検索って、質問したら答えてくれるけど、質問を返してくる事ってほとんど無いんですよね。
どういう話をしているかというと、例えば人間が服を買いに行くときって、
「何かお探しですか?」に対して
「ちょっとTシャツが欲しくて」と返すと、
「どのようなTシャツをお探しでしょうか」とか
「サイズはどのくらいですか」とか
店員が結構色んな事聞いてくるはずなんですよね。
これが何を意味しているかというと、店員が知らない情報を得ることで選択肢を狭めていく、という作業になるわけです。
この、選択肢を狭めていく作業が今の汎用人工知能には備わってないんですよね。
これが「文脈の理解」ができれば解決するのか、というのはあまりよくわからないけど、今の検索のような「一発回答」では解決しない領域なんじゃないかな、と思うわけです。
すべてを一発回答しようと思ったら、今Tシャツを探しているというコンテキストに加え、普段どういう服を着るかという嗜好、今の気分としてどういうものが欲しいか、という感情と結構色んな情報を取らなければいけない。そもそもイメージも決まらないで漠然と探す時だってあるわけで、そういう時にどういう情報を与えるべきか、どういう質問をすべきか、という事も理解しなければいけない。
確かにIoTだなんだでデータは今後も爆増するのだろうけど、そこまでの汎用的なデータが10年20年で取れるようになるのか、というと無理だろうなぁと思ったりするわけです。
で、もう少し手前の未来を考えてみた時に、汎用AIがそこまでいかなくても、専門AIがそのレベルにまで達すれば良いんじゃない、と思った次第なのですよね。
AmazonのAlexaやAppleのSiriは汎用的に利用できるAIだが専門的な回答は出来ない一方で、例えばナイキが自分たちの商品や人間/顧客の服飾に関するデータを徹底的に入れた専門AIを作る。Alexaと「靴がほしいんだよね」という会話をしてると中からナイキ製のAIが出てきて会話を代わり、靴の好みや今の気分に合わせて商品購入の相談が出来る世界。
あるいはsiriに「最近流行ってる音楽教えてよ」と話しかけるとsiriがspotifyのAIを呼んできてくれるような未来。
こうなってくると凄くポータルとwebサイトの関係に似てるな、って思うわけです。で、この専門AIの原型が今あるチャットボットなんじゃないかな、と。
チャットボットって今はメッセンジャーサービスの上に独立して乗っかっているけど。今後は入り口がメッセンジャーか、echoとかsiriみたいな音声認識系サービスか、Googleみたいな検索系サービスのどこかに集約されていくのだろうな、と。
そうなった時に、Yahoo!とか楽天みたいなところがこういうポータル(入り口)と専門(各中小メーカーやショップ)の間を繋ぐ立ち位置というのもあるかもしれない。
というのを考え始めたら、誰かが次世代のポータルはメッセンジャーだって言ってたんだけど、(実際WeChatとかLINEとかはポータルにかなり近づいてる)そこから一歩進んだ世界がとてもクリアに見えてきたなぁと思ったのでここに書き留めておく次第であります。
自動車なんかは最初から最後まで専門AIになるかもしれないね。この辺り何か誰か有名人とかの論考とかあったりするのだろうか。
【視聴記録】アンドリュー NDR114
はい時間空きましたが久々ですどうも。
原題はBicentennial man(200年の男)。アンドリューと名付けられた/型番NDR-114のロボットの200年に渡る物語。1999年の映画なので、ちょっと古い。原作はアイザック・アシモフ。
家庭用汎用ロボットが徐々に成長(改造)し、人間に近づいていく物語。アシモフの物語に出て来るロボットはほとんどロボット工学三原則 に従っているが、本作もまた同様。元々ただの家庭用汎用ロボット、命令に従うだけの所謂"弱い"AIのはずだったが、バグにより個性や創造力を持ってしまい、自らを人間に近づけようとする。
初期の時点では、ロボット工学三原則に従う動きをするが、二条に反し自由を求め、最終的には第三条に反する形で"人間"になろうとする。
物語のテーマは、200年という時の流れのなかで当然起こる人間の老化や死を、不死のロボットがどう受け止めるか、という部分が一つ。ロボットが人間になろうとする時、世間や人間はどう受け止めるか、というのが一つ。
個人的には後者の方に興味が湧きますね。ロボットが人間として、法的に人権を得ようとする時の最初の判決が、「人間は不死のロボットは受け入れられる、だが不死の人間は受け入れられない」という言葉で表されるのはとても含蓄が深いな、と。
何度か紹介しているAIの遺電子の中では、人格を持ったヒューマノイドは老化するものとして描かれているのだけれど。ヒューマノイドに老化という機能を持たせるまでの過程にはきっとこういう出来事が存在するのだろうな。
単純なエンタメとして面白いか、で言ったらそうでもないです。個人の感想。200年という時間の中で変化したのが人とロボットだけで、環境の変化が何も見えなかったりするのがちょっと残念。あとどうしてもAIモノとしては古さのようなものを感じてしまう感じ。多分ロボットの見た目のせい。
よく見たら監督がクリス・コロンバス(ハリーポッター/ホーム・アローン等)だった。こういうのはちょっと合わないのかな、という感じかも。huluのコメント欄は結構評判良さげだったので、まぁ好みの問題か。